さいたまの観光・国際交流情報
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さいたままめ歴史

イメージ慈恩寺の玄奘塔のお話

 “大唐聖域記(だいとう せいいきき)”の著者で、“西遊記(さいゆうき)”で名高い“玄奘三蔵法師(げんじょう さんぞう ほうし)”の遺骨は、宋の時代に長安(現西安)から南京にもたらされた後、太平天国の乱で行方不明になりましたが、第2次大戦中に南京を占領していた日本軍が、偶然にも土木作業中に法師の頭骨を納めた石箱を発見(昭和17年)しました。翌年、頭骨は当時の南京政府に還付され、昭和19年に南京玄武山に玄奘塔を建立し奉安されるとともに、日本へも分骨されたのです。
 日本へ渡った頭骨は、当初芝増上寺に安置されましたが、折しもその頃の東京は空襲の被害が広がり、一時埼玉県蕨市の三学院に移され、さらに三蔵法師の建立した大慈恩寺にちなんで命名された慈恩寺に疎開することになりました。終戦後、日本の仏教界が正式な奉安の地を検討した際に、三蔵法師と縁の深い慈恩寺が奉安に最適の地と正式に決定され、昭和25年に13重の花崗岩の石組み(高さ約15m)によって玄奘塔が築かれました。
 その後、この地から台湾の玄奘寺や奈良の薬師寺へも分骨されています。

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 慈恩寺では、三蔵法師の命日にあたる2月5日に「玄奘忌」、5月5日には西遊記にちなみ孫悟空の衣裳を身に付けた子どもたちが行列する「玄奘祭」が開催されています。

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■玄奘塔へのアクセス
東武野田線豊春駅西口より徒歩25分
東武野田線岩槻駅、東岩槻駅からコミュニティバスで「慈恩寺観音」バス停下車徒歩10分
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