INTERVIEW

私たちが20代
だった頃

さいたま市で20代を過ごした御三方。喧嘩に、ディスコに、必死で生きた当時のお話を伺いました。

私たちが20代だった頃。さいたま市で過ごした、激動の20代を振り返る。

毎月1000キロを駆け抜けた大宮男子の青春
「この辺りで昔から続いている店と言えば、うちと向かいの床屋さん、あと田中屋呉服店さんくらいだねえ。百貨店ができた昭和40年ごろに、ほとんどのお店が商売を諦めて貸しビルになっちゃった。でも、僕は店で働いていくほうがいいと思ったから」
 大宮銀座通り商店街で茶道具やお茶を販売する「銀柳園」。店主の鈴木淳隆さんは、穏やかな口調でそう語る。現在72歳の鈴木さんは、大学卒業後すぐに母方の家業だったこの店を継いだ。


「当時は母一人で店を切り盛りしていたし、母が楽になるならという思いでした。20代の頃はよく働きましたよ。当時は宅急便がなかったから、売れたものは自分で配達しないといけない。日中は店番、そして夕方から夜中に配達。月に1000キロは走ってましたね」
 懐かしそうにそう話しながら、店内にずらりと並ぶ茶器を見てそっと目を細める。
「この仕事をしていると、日本の工芸の粋を集めた焼き物や漆器にたくさん出会える。茶器は勉強しないと良し悪しもわからないから、はじめたばかりの20代の頃は大変だった。でも、結局この仕事が好きだからここまで続けてこれたんだろうね」

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(情報)
銀柳園茶店
埼玉県さいたま市大宮区宮町1-16
048-641-2145
火曜定休

粋な時代を生き抜いた女将の細うで繁盛記
 人形の町、岩槻。この街で江戸時代から続く料亭「ほてい家」を切り盛りするのは、女将の荒木万里子さん。20歳の誕生日の翌月にこの料亭に嫁いできて、以来半世紀以上にわたってこの街を見つめてきた。
「岩槻もずいぶん変わりましたよ。人形がすごく売れたから、職人さんも毎日のように日銭が入るでしょう。この店で宴会をやると、職人さんたちが腹巻の中にお札を入れて『これから大宮のキャバレー行くんだ』ってはしゃいで。みんな酔っ払って大変だったんだから! 今は澄ました顔して会社の社長やってる人が、若い頃に散々騒いだり喧嘩したりしてる姿をたくさん見てきてますからね」

会話の中に、情景豊かな岩槻の風景が浮かんでくる。荒木さんの若い頃も聞いてみた。
「嫁いだからには少しでも役に立たなくちゃと思って、必死に働きました。21で長女を産んで、おんぶしながら仕事したこともありましたね。趣味を楽しむ時間なんてなかったけど、私はお客さんが来て色んな話をしてくれるから、それでいいやと思うようになりました。私は商売っていうより人が好きでね。お客さんの喜ぶ顔を見ると、どんなに忙しくても文句なんか出ないよね」

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料亭 ほてい家
埼玉県さいたま市岩槻区仲町1-6-3
048-756-1661
不定休
『ミリー』でハジけたディスコでバブルな夜
 大宮駅前で祖父の代から続く床屋「キンパリー理容所」を営む瀧澤茂さん。現在59歳の瀧澤さんが20代を過ごしたのは、ちょうど80年代のことだ。

「20代は仕事をはじめたばかりの頃だけど、一番よく遊んだのもその頃だったな。休みのたびにディスコに行ってましたね。昔はこの店のすぐ前にもあったんですよ。自分がよく行ってたのはナンギンにあった『ミリー』って店。ディスコと飲み屋が一緒になったようなところで、男同士で行くと女の子たちの隣に案内してくれて……。同業者がいることも多くて、出会いが色々ある店でしたね」
 入り口のドアが開き、一人のお客さんが入ってくる。「いらっしゃいませ!」。瀧澤さんとともに元気な声で迎えるのは、これからの店を担う二人の子どもたちだ。
「男の人ってあまり床屋を頻繁に変えたりしないじゃない。だから僕が20代の時からずっと切り続けてるお客さんや、もともと父親が切ってたのを僕が切るようになったお客さんもいますよ。そんな風に、息子たちにも引き継いでいってもらいたいですね」
 瀧澤さんはそう言って、てきぱきと働く二人を優しく見つめた。

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キンパリー理容所
埼玉県さいたま市大宮区宮町1-44 2F
048-641-1096
月曜、第2・第3火曜定休
お越しくださいたま
銀柳園茶店
埼玉県さいたま市大宮区宮町1-16
048-641-2145
火曜定休
料亭 ほてい家
埼玉県さいたま市岩槻区仲町1-6-3
048-756-1661
不定休
キンパリー理容所
埼玉県さいたま市大宮区宮町1-44 2F
048-641-1096
月曜、第2・第3火曜定休