2,000年以上の歴史をもつといわれ、大いなる宮居として大宮の地名の由来にもなった日本でも指折りの古社。武蔵一宮として関東一円の信仰を集め、初詣には多くの参拝客で賑わいます。 また、毎年5月には境内で恒例行事の大宮薪能が開催され、観る者を幽玄の世界へ誘います。
<御祭神>
須佐之男命(すさのおのみこと)
稲田姫命(いなだひめのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
<御由緒>
神社の略記によれば、今からおよそ二千有余年前の第5代孝昭天皇の時代に創立し、約1,200年前の聖武天皇の時代に、各国に一の宮の制度が確立されたとき、武蔵国一の宮に定められたと伝えられています。確かな文献では、平安時代中期の延喜5年(905)に醍醐天皇が編纂を命じた法典である「延喜式神名帳」に、名神大社(古来より霊験が著しいとされる名神を祀る神社のこと)として記されています。近年では、明治元年(1868) に明治天皇が行幸、御親祭し、国の鎮守勅祭の社と定められ、次いで明治4年に官幣大社に列せられました。年々の例大祭には皇室よりの勅使が御差遣され荘重厳粛な祭儀が行われます。
また、氷川神社名の社は大宮を中心に、埼玉県下及び東京都下、神奈川県下に及びその数は280数社をかぞえます。
<社殿の沿革>
治承4年(1180) 源頼朝が土肥次朗実平に命じて社殿を再建、文禄5年(1595) には徳川家康が伊奈備前守忠次を奉行として社頭を残らず造営させ、次いで寛文7年(1667)に徳川幕府四代将軍家綱が阿部豊後守を奉行として社殿の建立をしております。以来幾度の御造営あって、現在の社殿は昭和15年(1940) の竣成で、流造りといわれる神社建築様式です。
須佐之男命(すさのおのみこと)
稲田姫命(いなだひめのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
<御由緒>
神社の略記によれば、今からおよそ二千有余年前の第5代孝昭天皇の時代に創立し、約1,200年前の聖武天皇の時代に、各国に一の宮の制度が確立されたとき、武蔵国一の宮に定められたと伝えられています。確かな文献では、平安時代中期の延喜5年(905)に醍醐天皇が編纂を命じた法典である「延喜式神名帳」に、名神大社(古来より霊験が著しいとされる名神を祀る神社のこと)として記されています。近年では、明治元年(1868) に明治天皇が行幸、御親祭し、国の鎮守勅祭の社と定められ、次いで明治4年に官幣大社に列せられました。年々の例大祭には皇室よりの勅使が御差遣され荘重厳粛な祭儀が行われます。
また、氷川神社名の社は大宮を中心に、埼玉県下及び東京都下、神奈川県下に及びその数は280数社をかぞえます。
<社殿の沿革>
治承4年(1180) 源頼朝が土肥次朗実平に命じて社殿を再建、文禄5年(1595) には徳川家康が伊奈備前守忠次を奉行として社頭を残らず造営させ、次いで寛文7年(1667)に徳川幕府四代将軍家綱が阿部豊後守を奉行として社殿の建立をしております。以来幾度の御造営あって、現在の社殿は昭和15年(1940) の竣成で、流造りといわれる神社建築様式です。
<社頭風致>
神社は元神領の大宮公園を控え、広大な境内は約3万坪もあり、古杉や老松は悠久の歴史をしのばせます。参道の長さは中山道の「一の鳥居」から約2km、県道2号ぞいの「二の鳥居」は高さ13mで、明治神宮より寄贈移築され、現存する木造の鳥居では関東で一番大きいと言われています。境内には楼門、舞殿、神橋、神池もあり、四季折々に輪奐の美を極めています。
<主な行事>
1月1日:歳旦祭
2月3日:節分祭
4月5・6・7日:鎮花祭
6月30日:大祓式
8月1日:例大祭
8月2日:神幸祭
12月10日:大湯祭
1月1日:歳旦祭
2月3日:節分祭
4月5・6・7日:鎮花祭
6月30日:大祓式
8月1日:例大祭
8月2日:神幸祭
12月10日:大湯祭
利用案内
開館時間 |
春秋期(3・4・9・10月)5時30分〜17時30分 夏期(5〜8月)5時〜18時 冬期(11〜2月)6時〜17時 祈祷斎行時間(予定)9時〜16時(30分毎) |
---|---|
入館料 利用料 |
祈祷初穂料5,000円〜(各種) |
アクセス
さいたま市大宮区高鼻町1-407
TEL.048-641-0137
JR「大宮駅」東口より徒歩20分または東武野田線「大宮公園駅」より徒歩15分
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