INTERVIEW

さいたまとロック

ACIDMAN
「SAITAMA ROCK FESTIVAL “SAI” 」を開催するACIDMAN。結成20年の軌跡と故郷についてお話を伺いました。

これからの20年は、バンドマンの生き様を見せたい。

日本を代表するスリーピースロックバンド ACIDMAN。彼らは2017年にデビュー20周年を迎え、さいたま市で「SAITAMA ROCK FESTIVAL “SAI” 」を開催することになりました。今回、Vo&Gの大木伸夫さんにお話を伺うことができたので、その内容をお届けします。
ーー今回、さいたまスーパーアリーナでバンド初となるロックフェスを開催しようと思った理由を教えてください。
10年ぐらい前から“やらない?”って話はあったんですけど、必要性をあんまり感じていなくて。でも20周年のタイミングならいいかな、と思って。今なら音楽仲間も沢山いるしカタチになるんじゃないかな、と。埼玉という場所は、やっぱり故郷ですし、あと、単純にさいたまスーパーアリーナには特別な思い入れがあるんですよ。5年前にはワンマンライヴもさせてもらってますしね。
ーーSAITAMA ROCK FESTIVAL “SAI” は「埼玉」を打ち出したタイトルですね。
SAIっていう名前のフェスにはしようと、思ってたんです。SAIってワードには色んなものが含まれているなって気づいて。“埼”玉だし、“祭”だし、“才”能の才だし。自分たちが昔、作った曲に“彩”って作品もあるので。

ーー大木さんは川越市のご出身ですよね。さいたま市に対する思い入れはありますか?
大宮は高校時代によく行ってましたね。昔デビュー前にACIDMANで大宮アルシェの前で開催されてた音楽コンテストに出たこともあります。
ーー埼玉の音楽カルチャーはバンド結成当時はどんなものだったんですか?
埼玉県って東京に密接しているのに、流行が少し遅れて入ってくるような感じがあって。僕らの高校では15年遅れでヘヴィメタルが流行ってました(笑)。Motley Crueとか。高崎晃さん(LOUDNESSのギタリスト)に憧れてる奴らがいっぱいいましたね。高2ぐらいなると、NIRVANAだったり、BEASTIE BOYSみたいなものが、やっぱりちょっと遅れて入ってきましたね。
ーー昨年から今年にかけて「最後の星」「愛を両手に」「ミレニアム」と、シングルを3枚立て続けに出されて。精力的に活動をしてらっしゃいますね。
特に“ミレニアム”はこの20年を凝縮したような楽曲にしたかったんです。歌詞にはこれまでの僕たちの楽曲のタイトルが織り込まれていたり、サウンドも僕らがずっとライヴでやり続けている曲のコードを入れたりとかしていて。これからの未来を想像しよう、というポジティヴな楽曲になっています。
ーー今の自分たちの姿を、高校時代の大木さんが見たら何ていうと思いますか?
あ、やっぱりって言ってくれる気がします(笑)。実は中学や高校の卒業文集には音楽で飯を食っていくんだってちゃんと書いていて。夢として追い求めるのではなく、決めたこととして進んでいきました。40歳までやっているとはさすがに彼も思わないだろうけど。でも、20年経ったって感じがないんですよね。毎作品、完全燃焼しているので。気が付いたら、ここにいたような気がします。
ーーまた新たな気持ちでこれからの20年を見つめているという状態ですか?
そうですね。これからもファンの方々や仲間から力をもらいながら続けていくことで、バンドマンの生き様を見せられたらなって。フェスも今回だけで終わるんじゃなく、またいつかやれたらなって思ってます。
お越しくださいたま
大木 伸夫 ACIDMAN
大木伸夫( Vo&G)、 佐藤雅俊( b)、 浦山一悟( dr)からなるロックバンド。埼玉県私立西武文理高校で結成。2017年、バンド結成から20年目を迎える。