さいたま市の背中(160)『(勝手に祝福)さいたま市誕生20周年お祝いメッセージ』

どーも、さいたま市民観光サポーターまつです。

今年に入り、さいたま市報や市のホームページに、「さいたま市誕生20周年」を祝う著名人や親善大使からのお祝いメッセージが掲載されています。僕には特にオファーが来る気配がないので、この場をお借りして一市民として自発的にお祝いメッセージを贈りたいと思います。



さいたま市誕生20周年おめでとうございます。

社会人になり、色々な場所で色々な人と接するようになると、「ご出身は?」と聞かれることがあります。「さいたま市です」という答えで十分なはずなのですが、「生まれも育ちもさいたま市です」と答えるのが僕のお決まりのフレーズになっています。特に強く意識はしていないのですが、生粋のさいたま市民としての誇りが「生まれも育ちも」と言わせているのだと思います。

しかし、例えば「出身は札幌市です!」とか「生まれは那覇市です!」となれば、相手は「札幌ラーメンいいね!」とか「海が綺麗だよね!」とか返せるもんだと思いますが、「さいたま市か!」となることは皆無に等しく、会話がそれで一旦終了してしまいがちなのはさいたま市民の宿命かも知れません。

いや、思い返してみれば、金沢市の飲み屋であったにーちゃんには「さいたまスーパーアリーナ!」と言われ、名古屋市で入ったバーのマスターには「さいたまんぞう!」と言われ、那覇市のすし屋の女将さんには「『翔んで埼玉』観たよ!」と言われたことがあります。「さいたまんぞう」と『翔んで埼玉』はどちらかというと「埼玉県」だから市とはチョット違うんだけどね。良くて「浦和レッズ」「大宮アルディージャ」とかでしょうか。



さいたま市は2001年に浦和・与野・大宮の三市が合併して誕生しました(2005年に岩槻市も編入)。僕はそのうちの旧浦和市の出身です。当時僕は10代でしたが、記憶にあるのは新市の名称を市民から広く募集していたこと。記憶は曖昧ですが、確か僕は「浦和市」あるいは「埼玉市」のどちらかの案で応募をしたと思います。それが蓋を開けると新名称は「さいたま市」に決まり、「こんな貧弱な名称など認めない!日本人なら漢字で書け!」と憤っていましたが、何年も経つと自然と受け入れられるようになったのは不思議です。何よりも書くのが楽ですわ笑。

ちなみにさいたま市のホームページには当時の公募の集計結果が公表されています。それによると1位は僕も支持した「埼玉市」でしたが、最終的にはお偉いさんたちの天の声で2位の「さいたま市」に決定をしたようです。なお、県庁所在地でも何でもない旧大宮市の「大宮市」が3位、対して県庁所在地である旧浦和市の「浦和市」は6位というのは興味深いです。浦和vs大宮という対立構造がサッカーでは有名ですが、郷土推しでは大宮市に軍配が上がったようです。


(引用:さいたまWeb/「新市名称公募」結果のお知らせ

さて、旧浦和市で生まれた僕ですが、そのルーツを遡ると社会人となった父が実家を出るにあたり、1970年代に東京都内から移住してきたのが始まりです。浦和市も含めたさいたま市は交通の便が最強なことで有名ですが、当時は徒歩約15分の距離にやっと国鉄武蔵野線の西浦和駅が出来た頃でした。この武蔵野線というのが元々は貨物路線(詳細:Wikipedia)で、旅客電車の本数が異常に少なかったとのこと。なので、飲み会とかで武蔵野線の終電を逃した夜は、歩くと1時間くらいかかる次の最寄り駅である京浜東北線の南浦和駅から、タクシーで同じ方面の人たちをかき集めて、見ず知らずの人たちと乗り合わせて帰って来ていた、なんていう愉快な話を聞いたことがあります。

(引用:国土地理院地図

上の画像は自宅の近所であるJR埼京線武蔵浦和駅周辺の航空写真の比較です。南北に走る埼京線の開通は1985年まで待たなければなりません。2019年のほぼ真ん中にあるのが、僕の母校である大里小学校です。1970年代は広大な空き地になっているのが分かると思います。いや。空き地?沼地というか、荒れ地というか、なんかトグロを巻いていますね笑。

今では駅近は高層マンションが建ち並んでいますが、僕が生まれた1980年代でも自宅の周辺は田畑や更地だらけだった記憶があります。カエル・オタマジャクシ・トンボ・コオロギ・ザリガニなどと触れ合う、水路(ドブ)に転落する、野良犬に追いかけられる、駄菓子屋でたむろする、酒屋で親のビールを買って来る、など、既に平成だったけど昭和の香りが残るワイルドライフをこの地で謳歌できた最後の世代かも知れません。今では「住みたいランキング」で上位に入るさいたま市です。特に駅近は日本の平均年収世帯でも住宅購入は厳しいとも言われるくらい高騰しまくりなので、田畑と更地だらけの時代に入植してきた父は先見の明があったということでしょう。

幼稚園、小中学校は旧浦和市でした。高校から大学は市外に出るようになりましたが、いずれにしても帰る場所は実家である旧浦和市(後のさいたま市)でした。ちなみにバイト先のCD屋、郵便局、飲食店、いずれもさいたま市内。新卒で都内に勤めるようになってからも実家暮らし。数年後、実家を出るということになっても、初めての転居先はさいたま市中央区。少し金銭的な余裕が出て来た30代前半の転居先はさいたま市桜区、マイホームを手にした場所がさいたま市南区、という感じでさいたま市内をグルグルしています。



なぜそこまでさいたま市にこだわって住み着くのか。ぶっちゃけ理由は無いんですよね。普段は旅が多い生活なので、行く先々で「ここに住んだら楽しいだろうなぁ」といった妄想が膨らみますが、結局は「まぁ別にさいたま市で良いか」となるのです。この「まぁ別に」というのが良くも悪くもさいたま市の魅力なんじゃないかなぁと。ヨソの人に「さいたま市のお勧めポイントは?」を聞かれても困りますし。恐らくそんなさいたま市民は多いんじゃないかなぁと思います。僕にとってはとにかく「普通」。抽象的で便利な言葉だけど、「普通」という表現がベストなんです。

そういえば「普通」じゃないこともありました。そもそも一市民でしかない僕が、さいたま市の観光協会のブログになんでこんな独り言のような文章を長年書き続けているのか。せっかくの機会だから改めて簡単に説明すると、学生時代に自分のブログ(現在は閉鎖)を持っていまして、そこに誘導したいという邪な気持ちで活動の場を求めていたところ、さいたま市の観光サポーターを募集しているというのをネットで見つけたから。当初の教会の目論見としては、沢山の市民が様々な情報を市民目線で投稿する場にすることだったと思いますが、結果的には観光協会の公式投稿と一市民(僕)の投稿という不思議な関係が続いています。成果が出ているか分かりませんが、幸いにも事業仕分けに遭うこともなく、もう15年くらい書き続けています。今やこの場が僕のさいたま市に対する愛着を再認識させてくれる場となっています。他にも市民による素晴らしいブログやSNSが沢山ある中、どんな理由やキッカケであれ訪問してくれた読者(←いると信じたい)、貴重な経験を与えてくれた観光協会の歴代担当者に御礼申し上げます。

そんなわけで感謝の念が溢れる「さいたま市誕生20周年お祝いメッセージ」を勝手ではございますがお贈りいたします。おめでとう!

おしまい。

(参考リンク)
さいたま市20周年特設サイト
市報さいたま

【まつ直近記事3本】
(157)『さいたま市報を端から端まで読む』
(158)『一度は食べたい名店の味、狼煙 豚骨魚介カレーまぜそば、のインスタント麺!』
(159)『東京盛っていうから東京の地酒だと思ったらさいたま市の地酒だった!』

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