さいたま市の背中(192)『父になってきた(さいたま市で)』

*前回に続きこの記事の時間軸は世界中の誰もがコロナウィルスなんて知らない時代のものです(つまりコロナ過前)。

どーも、さいたま市民観光サポーターまつです。

4月の暖かい日、僕は埼玉県内の職場を昼前に早退し、さいたま市立病院に向かっていました。職場の最寄り駅のホームで電車を待っていると一通のLINEを受信。義母からでした。クールな義母らしくたった一言。


「先ほど産まれました」



間に合わなかったかっっっ!

話は前日に遡ります。

昼過ぎに定期の妊婦健診でさいたま市立病院に一緒に行きました。この日の妻はいつもと違い「昨晩はお腹が痛くて寝られなかった・・・」と言っていました。出産予定日はもう少し先のはず。

さいたま市立病院は1953年に開院した大きな老舗病院です。今回の出産にあたりさいたま市立病院を選択したのは、さいたま市民だから・・・というのも無くは無いですが、端的に言えば成り行きでした。



さて、診察の結果「このまま入院しましょう」と想定外のことを言われました。僕は急遽単身で自宅に戻り「来るべき日」のために用意していた必需品が纏められているスーツケースを病院に搬入し、妻ともに人生で初めて病院に泊まり込むことになりました。

やがて夜も更け「もしや今夜中に産まれるか!?」とソワソワしている間に僕はイビキをかきながら寝落ちたらしく、「ウルサイから出ていけ」と妻にマジ切れされ、「じゃあ」ということで明け方に応援に来た義母にバトンタッチをし、所在を無くした僕は早朝にやり残した仕事をするために出社をし、昼前に再び病院に戻ってくる道中で産まれてしまった、という流れです。



元々お互い出産時の立ち合い希望はありませんでした。しかし病室の前でソワソワしつつ、やがて「オギャー」という第一声を聞き、看護師に「おめでとうございます!」と祝福され、息を切らす妻に「良く頑張ったなぁ」と労う、というドラマのような展開は体験することは叶いませんでした。

病院に到着をし、まず妻の病室を訪問。闘いを終えた妻は疲労や寝不足を隠さず気が抜けた表情をしていました。「良く頑張ったなぁ」という当初の予定とは違い「大丈夫か?」という心配が妻への第一声であったと記憶をしています。

我々の子を見に行きましょう、ということで院内を移動して一緒に新生児室を訪問。大勢の赤ちゃんが保育器に入っている。起きてバタバタしている子がいれば、寝入っている子も。我が子はどこじゃ。既に居場所を知っている妻はその間を通り抜け我が子の場所に直行。



我が子にご対面。名前はまだ無い。この瞬間、僕は何を想ったか。可愛いなぁでもなく、小さいなぁでもなく、「君はどこからやって来たの?」という疑問。もちろん妻のお腹の中からではあるのだけど、そういう意味ではなく、それよりもっと前の生命の起源とか神秘なレベルの話。その次は「不良になるなよ」という10年早いお願い事。



「オレにも子供が出来たなぁ!」と一番実感したのが、後日仕事から帰宅したら退院した母子が自宅にいた時のこと。これから何年も一緒に暮らして行くのだなぁという感情は病院ではなく自宅で初めて得ました。



性別は女の子。長男としては「跡取りとして男子!」と思わなくも無かったのですが、いざ産まれて来ると「女子も良し!」というのが本心です。名前は出産前に幾つか候補を挙げていて、実際に対面した時に確定をしました。出生届は婚姻届も提出した南区役所。今度は夜間窓口ではなく堂々と日中に行きました。

出生届を提出したことによりさいたま市民が一人公式に追加されました。ぜひさいたま市民の一員として温かく迎えて頂ければ幸いです。

あと、さいたま市立病院で大勢の医師・看護師・その他医療スタッフに大変お世話になりました。会うスタッフ全てがプロで、妻子をサポート頂いたことはもちろん、僕自身も職業人として多くの感銘を受けました。現在はコロナ過で大変な時期だけど、医療スタッフの日々の貢献には心から敬意を表します。

おしまい。

(参考リンク)
さいたま市立病院