さいたま市の背中(153)『渋谷区からさいたま市まで歩いて帰る(震災シュミュレーション)』

どーも、さいたま市民観光サポーターまつです。

前回の投稿で10年前に起きた東日本大震災を想ったコンサートについて取り上げました。そこでも書いたのですが、当時ぼくは一時的に茨城県に住んでいましたが、首都圏では電車が終日運休をし、帰宅難民が発生したり、徒歩で何時間もかけて帰宅したというニュースや話を聞きました。

主要な通勤手段が車であれ電車であれ、当日帰宅を決意した人の大変さは大きかったと思います。そして再びさいたま市で暮らし東京で働いているという「埼玉都民」に戻ったぼくには、この10年間ずっとやりたかったことがありました。それは、

都内の職場から歩いてさいたま市の自宅に帰る。

なぜ今のタイミングなのか。強いていえば前回の記事で震災に触れたことでしょうか。ぼくの心の中にメラメラと挑戦の意欲が沸き上がり、「やってやるぜ!」と思いたったのは4月23日(金)のこと。

果たしてどれくらいの時間で帰れるのか、そもそもやり切れるのか。そんな一部始終を書いて行きたいと思います。

なおぼくの基本スペックですが、30代後半、身体は至って健康、自他共に認める健脚です。旅が多い生活ですが、旅先ではとにかく歩きまくるのが基本スタイルです。前日の睡眠時間は4時間半くらいでチョット少なめ。昼は猛烈に眠くて「やっぱりやめてしまおうか」と思ったけど、少し仮眠したら眠気は飛んだので挑戦を決意しました。


靴は2-3年は履き続けているスニーカーです。震災直後は自転車屋と靴屋に行列ができたという話を聞いたことがありますが、私服通勤のぼくは殆どスニーカーなので、足元の不安はあまり無さそうです。結論から言うと、歩ける靴じゃないと足が壊れると、この挑戦を通じて実感しました。

この挑戦に際して、自分に課したルールは以下の3つ。

・腹が減ったら我慢せずに食べる
・疲れたら我慢せずに休む
・辛くなったら我慢せずに電車で帰る

何だか甘々だなと自分でも思いますが、今回の大きな目的は別に自分を追い込むわけではなく「歩き通す」ことです。そしてその距離感を「実感する」ことです。つまり楽しい健康ウォーキングの感覚です。もちろん頭の片隅には災害発生時のシュミュレーションという目的も(小さく)あるので、所々で意識はしていました。


挑戦にあたり、渋谷で腹ごしらえのランチ@俺流塩ラーメン。推定1,800キロカロリー。普段はこんなに食べないけど、これから歩くんだから、と自分を甘やかしました。逆に言うと、これを食べたからには歩いて消費せねば。


ぼくの勤務先である渋谷区からさいたま市の自宅まではGoogleマップによると徒歩で5時間12分。5時間もあれば、東海道新幹線(のぞみ)で東京大阪間を往復できてしまう時間ですが、その時間をぼくは歩き続けるわけです。もちろんこの検索結果は不眠不休で歩き続けた場合の時間だから、実際はもっと時間がかかるのは明白です。


出発時点の歩数は2836歩。ぼくは普段は1日10,000歩を目標としています。外回りの仕事なら簡単に達成できるようですが、ぼくは内勤なので10,000歩を達成できない日も結構あります。


15:00
職場がある渋谷をスタートです。東日本大震災の発生時刻は14:46頃でしたが、別に狙ったわけではありません。でも近い時間ということでシュミュレーションには好都合です。

ここから基本的には1時間に1回のペースで休憩と定時連絡という形で、その時の状況や考えたことを書いて行きたいと思います。

写真は2019年にオープンした高層ビル、渋谷スクランブルスクエア(大きすぎて写真に収まらなかった)。渋谷といえばIT系企業。一時期は六本木にそのブームが移り、渋谷からIT系企業の姿が少なくなりましたが、渋谷の街づくりの一環で再びIT系企業の渋谷回帰を実現させた象徴的なビルです。ぼくの職場もこちら・・・と言いたい所ですが、実際は少し離れた築20年超の低層ビルが職場です。


明治通りを北上します。ここは原宿。平日とはいえ若者を中心に大変賑わっていました。みんな色んなブランドの買い物袋を手に持っています。服に拘りが無いわけでないですが、そこまでお金をかけるのもチョットな、でもそう思ってしまうのは歳を取ったからかな。そんなことを考えながら鮮やかな装いの人たちの間を縫って歩いて行きます。


原宿を抜け、「千駄ヶ谷小学校」という交差点で信号待ちの間、鮮やかな花を愛でます。まだ陽は高く、写真でお分かりのように雲が一切無い快晴のため直射日光が体力を奪います。まだ先は長いので少しでも体力温存のために日陰にいるよう努めました。


16:00の定時連絡と小休止です。
渋谷から3km、武蔵浦和まで20km.。

新宿までやってきました。写真は新宿高島屋。渋谷から新宿は何度も歩いたことがあり、その経験があるので余裕でした。原宿を除けば基本的にはビジネス街のため歩いていてそんなに楽しくはなかったです。

16時だからまだ腹は減っていないけど、ビールを摂取したくなりました。「腹が減れば食べる」というルールのため遠慮なく食べます。そして飲みます。なおこの記事の投稿時には4月25日からの緊急事態宣言が発表されましたが、この時は宣言前なのでセーフ。まぁそもそもお一人様ですし。

17時までに、そして人出が増える池袋に到達するまでに店を見付けようと決めました。


新宿を超えて飲食店をチェックしながら引き続き明治通りを北上。ラーメン?いやラーメンよりビールが欲しい。というかラーメンは昼に食べましたし。

人混みの多い新宿を超えると雰囲気が変わり、生活感のある街並みになってきました。早稲田大学をはじめ、高校や語学学校などが多くあるエリアというのが理由でしょう。ここらへんでビールを飲める店はないかな。


選んだのはジョナサン新大久保東店。ジョナサンはぼくのお気に入りのファミレスです。その理由とは!


ハッピーアワーの存在。平日限定で生ビール(プレモル)のジョッキが274円だ!普通だと500円前後だからほぼ半額。しかも実施時間帯が10:30~20:00という、ハッピーアワーの常識を覆す時間設定。ほぼ丸一日やんけ。しかし新型コロナウィルスの感染拡大前はもっと短かった記憶があります。それを延長するということは、やはりそれだけ飲食店の経営は厳しいということなのでしょう。せめて飲んで支援したいと思います。


ジョッキはこのサイズ。ぼくも大人になり、多くの店で「ジョッキマジック」に遭遇してきました。「中ジョッキ」と称しておきながら、異様にグラスが分厚いとか、異様に細いとか・・・。それを踏まえれば、値段も含めてジョナサンのジョッキは満足の行く量です。なんてったってプレモルだからね。


ハッピーアワーだけではないお気に入りポイントが電源の存在。ここでアルコールだけでなくスマホの充電もチャージします。今回ミスったのはモバイルバッテリーを持って来なかったこと。災害では電源系の備えも必要と感じました。モバイルバッテリーを会社に一個置いて置くべきか。


ビールのお供に注文したケイジャンチキン。ぼくの最近のお気に入り。スパイスの旨味はもちろん、骨付きでありながら可食部の多さが嬉しすぎる。すかいらーくの実力を感じる逸品。最近はこの組み合わせのみです。

書き忘れましたが、ジョナサンでは17時の定時連絡と小休止を兼ねています。小休止といっておきながら45分くらい滞在してしまいました。いつもは3杯くらいは飲むのですが、そうなると歩いて帰る気力を無くすので2杯に留めておきました。


再び明治通りを北上します。17時半くらいですがまだまだ空は明るいです。ここらへんは歩道が整備されていて歩きやすかったです。夕方の渋滞が始まり、ぼくの横を都バスがしばらく同じペースで並走していました。


18:00の定時連絡と小休止です。
渋谷から7km、武蔵浦和まで16km.。

池袋までやってきました。池袋は「埼玉の玄関口」と言われるくらい、埼玉方面の路線が多く乗り入れていることもあり、この時間は大勢の人たちがいました。休憩時間を差し引けば2時間弱歩いていますがまだ元気です。

先ほどアルコールを摂取したことにより、今度は締めのラーメンを欲してきました。なんだかグルメ紀行のようですが想定内です。まん延防止措置の影響で飲食店は早めに閉店してしまうので、美味しそうな店を見付けたら入ろうと決めました。


渋谷からずっと歩いて来た明治通りに別れを告げ、さいたま市に繋がる国道17号に向かう途中でラーメン屋を見付けました。茜ノ舞。味噌ラーメンです。あれ?そういえば昼もラーメンだったぞ。しかも味噌。あんまり気にしないタイプです。


水が旨い。


17時台のジョナサンでもツマミ以上のものを食べているから正直そんなに空腹ではないし、絶対身体に良くないのだろうけど、「これからひたすら歩く」と思えば何度でも許される気がします。「濃厚味噌ラーメン」、大変美味でした。


住宅街の途中で見付けたお地蔵様。この先の道中の安全を祈願します。

胃袋の容量以上に食べてしまったので前のめりになりながら歩きます。お腹の奥の方で微かな便意を感じ始めました。震災の日は多くの駅や商業施設は臨時休業したと聞きます。そうなると当然トイレ問題も発生するわけです。災害発生直後に移動を決意する際はトイレ対策も考慮した方が良さそうです。


19:00の定時連絡と小休止です。
渋谷から10km、武蔵浦和まで13km.。

もうすっかり陽は落ちました。ここは東京都板橋区。交差点にベンチがありましたので休憩します。4時間近く歩いてきて、さすがに脚の痛みを感じ始めましたが少し休んだら回復しました。それよりも身体に堪えたのが日没後の気温の変化。この日の日中は半袖の人もいるくらい暖かい日でしたが日没後は一気に気温が下がりました。しかしそこは日頃の旅の経験が生きていて、厚手のジャンパーを着ていたので安心でした。でも寒かった。寒さは体力だけでなく気力も奪うので防寒着は重要です。

時間的には保育園の迎えの時間で、自転車で帰宅する親子を多く見かけました。日没後の街はすっかり暗くなったけど小さい子どもたちはお母さんと再会して笑顔。平和って良いなって思いましたよ。


「オレの温かいマイホームまではあとどれくらいかな」と思って残りの時間を検索したら2時間45分との結果。おいおい、やっと半分かよ・・・。一気に絶望です。

20:00の定時連絡です。写真を撮り忘れました。というか撮る気力無し。
渋谷から13km、武蔵浦和まで10km.。

東京都最北の区、北区にいます。もう少しで埼玉県です。これまでは1時間に1回の休憩でしたが、ここに来て30分に1回、20分に1回と、立ち止まる回数が増えてきました。そして何よりも寒い。この日のこの時間帯の気温は14度でしたが体感的には真冬です。歩くと疲れる、止まると寒い。生き地獄とはこのこと。季節にも拠るでしょうが災害時に歩いて帰る際には、夜の移動は避けた方が良さそうです。


今回の行程で初めての階段。いつもは何とも思わない段数だけどこの時は脚が震えてしんどかったです。


階段を超えたら戸田橋。東京と埼玉を繋ぐ、荒川を超える橋です。震災の日は荒川を超える橋では多くの歩行者で混雑が発生したと聞いています。この時は歩いて橋を渡るのはぼくだけでした。自分の腰より少し高いくらいの柵の下は真っ暗な川。もしここで転落したら翌朝まで誰にも気付かれないんだろうな、なんて怖いことを考えたりしてしまうくらい体力と気力が失われているのを感じます。というわけで、埼玉県に戻ってきました。


埼玉県に入って早々に、栄養ドリンクの自販機があったから願掛けで買ってみました。栄養ドリンクはたまに飲むけど、この時ほど「栄養補給!滋養強壮!」を求めたことは過去にありません。結論としてはぼくの体力の消耗度合いの方が上を行っていたようです。


21:00の定時連絡です。
渋谷から17km、武蔵浦和まで6km.。

国道17号に別れを告げ、埼京線の線路沿いを進みます。これをずっと行けば自宅の最寄り駅である武蔵浦和駅に着きます。途中駅は幾つもあり、いつでも降参して電車で帰れる誘惑はありますが頑張ります。一杯食べたし。

脚の痛みが腰、背中、首に伝搬するようになりました。ちなみに鞄はリュックですが、この挑戦に備えて可能な限り荷物は減らしています。しかしそれでも脚が棒になるとはこのこと。豆っぽいのが左足の裏に出来始めたのを感じます。埼京線沿いは街灯が整備されていますが駅間は人通りが少なく怖いです。ここで暴漢に襲われたら脚が痛くて逃げ切れないなと思いました。震災当日に徒歩で帰宅した人の記事などを読むと、周りに徒歩の人は多くいたから防犯上の心配は不要だった、とありました。しかしそれも場所によるでしょうから、場所・時間帯によっては防犯対策はしっかりと講じた方が良さそうです。


22:00の定時連絡です。
渋谷から20km、武蔵浦和まで3km。

武蔵浦和駅の隣、北戸田駅まで来ました。毎時00分にスマホにメモをしていて、それを元ネタにこれまで書いてきました。上述の通りここまでは「ビール飲みたい」とか「腹が減った」とか平和なメモが中心だったのですが、22時台のメモは一言、「脚が壊れそう」のみ。

しかしここまで来ればゴール間近です。本当は武蔵浦和駅で写真を撮って「地元凱旋!」とか書きたかったですが、そんな気力も失せたので、ここから一気にショートカット、自宅を目指して埼京線沿いと別れを告げます。


さいたま市立内谷中学校、我が母校。だからこそ分かる、ここから自宅までは20分弱ということを!というか、正門が空いていることから分かるように、22時を過ぎているのに職員室に電気が付いていた衝撃。先生方、ご苦労様です。

そして22:25、さいたま市の自宅に帰宅しました!


この日の歩数、37,300歩。自分史上最高歩数です。時間別の棒グラフを見てみると、16時台のジョナサンでの休憩以後はペースを落とすことなく、むしろ上げて歩き続けたのが分かります。そこは健脚の成果が出たのかなと思いました。

この挑戦を終えて感じたこと。
東京から埼玉は歩いて帰るもんじゃない!

もちろん距離や時間帯にも拠ると思いますが、少なくとも日没を過ぎるような場所への徒歩での帰宅は避けた方が良さそうです。ましてや震災直後は路面状況も変わっているので通常以上の時間がかかるでしょう。

10年前の震災当日は電車が終日運休したことにより多くの方が歩いて自宅を目指したそうです。もちろん帰れる人も多くいたのでしょうが、みんなが一斉に家を目指してしまうと、それによって引き起こされる渋滞などで救急体制への影響や、二次災害の危険が発生してしまうようです。

その反省を生かし、東京都では災害時は「一斉帰宅の抑制」「3日間の食糧備蓄」などの努力義務を課した条約を制定したそうです(参照:東京都帰宅困難者対策 ハンドブック



同様の取り組みはさいたま市でもあります
さいたま市の帰宅困難者対策

今回、渋谷区の職場からさいたま市の自宅まで歩いてみたわけですが、一言でいえば「もう二度とやりたくない」です。平時でもそう思うのだから災害時の心身に与える困難さはこの何倍にもなる思います。

もし都内にいた時に災害に直面した場合、無理に帰宅をせず迷わず会社に留まることを選ぶべきと思いました。もちろん自宅や親族の状況も心配になると思いますが、その為の備えを平時からしておく必要性も感じました。

みんなも災害時の対策について考えてみようぜ!

おしまい。

おまけ:自分史上最高の歩数なのに翌朝の体重は前日比で3キロ増加していました。食べ過ぎです。美味しかったけど。

(参考リンク)
帰宅困難者対策(内閣府)
帰宅困難者対策(埼玉県)


【まつ直近記事3本】
(150)『約20年振りに鶏白湯ラーメンを食べたら大人になったことを実感しました@麺匠むさし坊』
(151)『さいたま市の図書館が全館休館しているから、さいたま市の図書館の凄さと書評を語ります』
(152)『3月11日の素晴らしきコンサート@埼玉会館』


さいたま市の背中(152)『3月11日の素晴らしきコンサート@埼玉会館』

どーも、さいたま市民観光サポーターまつです。

新年度になり新しい生活に入る、入った、という方も多いのではないでしょうか。
過去のことを振り返る暇があまり無い現代ですが、例えば一ヶ月前はどんなことが世間のトピックだったかパッと思い出せる方はどれくらいいるでしょうか。
今であれば「第4波」とか「まんぼう」とか「聖火リレー」などが関心の高いトピックだと思いますが、先月のトピックといえば「震災10年」が挙げられるのではないでしょうか。
そんなわけで今回は少し時を遡り、3月11日のことを書きます。

2011年の東日本大震災。

改めて当時の様子を動画などで振り返ると、物凄いことが起きたのだなと身震いがします。
ぼく自身は震災当時は短期間ですが、仕事の都合で人生で唯一他県(茨城県)で生活をしていた時期でした。
地震の名前に「東北」は付いていますが、茨城のような東北と隣り合う北関東でも被害はありました。
水道などのインフラは止まり、会社(工場)は短期間でしたが操業停止もしました。
もちろん首都圏の住民も帰宅難民であったり、計画停電であったり、多くの影響を受けたと思います。
いずれにしても言葉にならないくらいの出来事でした。

2021年、つまり今年の3月11日、皆さんは何を考え、どのように過ごしていたでしょうか。

ぼくはコンサートにでかけていました。

「こんな日に娯楽なんてけしからん!」なんて思いますか?
いや違うんです。

ぼくもですね、最初はそんなことを思ったんですよ。
コロナ禍でも様々な文化・芸術イベントが中止になったり、アーティストの収入が減ったり、一方で日本は文化・芸術軽視、欧州などでは日本に比べて支援が手厚い、などのニュースなどもありました。

しかし沈んだ心、傷ついた心に音楽の力は偉大です。
そんなことを特別な日に改めて実感したコンサートだったのであります。

そのコンサートとはこちら。

正直ですね、チケットを取った時点では震災とかそういうことは一切考えていなかったんですよ。
過去にブログでも何度か言及をしていますが、ぼくはクラシックギターを学生時代からやっていて、気になるコンサートのためなら趣味の旅行と合わせて日本全国どこにでも行きます。
ギタリストの村治佳織さんは別に熱烈なファンではないけど、著名なギタリストですし、それがさいたま市に来られるっていうことであれば、行かない選択肢はないな、と思ったんです。
で、チケットを取ってから、「あ、公演日は特別な日なんだな」と思い出したのが実際のところです。
ポスターをよく見ると「特別な日、祈りを捧げる演奏会」というフレーズも書いてありました。

やってきました、埼玉会館。
完成は1966年、近代建築の巨匠、ル・コルビジェに学んだ建築家、前川國男氏の設計です。。
浦和駅周辺は大規模な開発が進められているけど、その中でも異彩を放つ歴史的建造物でもあります。
著名アーティストの全国ツアーの埼玉公演などに組み込まれることも多くあるホールです。


なんかいいですね、こういう手作り感&ローカル感のある立て看板。


さて時代はコロナ禍。
コロナ禍でのイベント開催については報道等で見聞きしていると思いますが、クラシックコンサートなどの声の出さないイベントは大分緩和されるようになりました。
そらそうだ、クラシックコンサートのように黙って同じ方向を向いていればリスクは職場や飲食店、交通機関内に比べて相当程度に抑えられると思われますから。
とはいえ不測の事態ってのはやはりあるでしょうから、この日も厳重な感染防止対策が取られていました。
具体的には間隔を空けた入場、体温チェック、消毒、マスク、そしてパンフレットは手渡しでの配布は無しで自分で取って行くスタイル。
また、クラシックコンサートによく行かれる方はご存じと思いますが、こういう場では結構な数の公演チラシが配られます。
しかしコロナ禍ではすっかりその厚みも減ったと感じました。
コンサートの自粛や外国人アーティストの入国制限が影響しているのだな、とこういう部分でもコロナ禍の影響力を感じました。

開演前にホール内を激写。
席は左右両側を1席ごとに空ける対策が取られていました。
ぼくは肩幅が広いので、こういうコンサートホールの座席は狭くて、いつも窮屈を感じていました。
コロナ禍でクラシックコンサートに何回か行きましたが、ここだけの話、ゆったりと音楽鑑賞することができて少し喜んでいます。
その反面、マスクの息苦しさがあるのでどっちもどっちですが。

この日のプログラムはこんな感じ。
ギタリストの村治佳織さんにだけ注目をしていましたが、後半のソリストは小山実稚恵さん。
これまた超著名なピアニストです。

なおこの日は平日の16時開演のコンサートでしたが、(1席ごと空けた状態で)満員でした。
そりゃこの布陣だったらそうだろうなぁと思いました。
ちなみにぼくは仕事を早上がりして都内から駆け付けました。

冒頭は本日の指揮者、尾高忠明さんのプレトーク。
初めて生で拝見しましたが、トークがとても上手で引き込まれました。
震災当時のこと、コロナのこと、大変な時だからこその音楽の力について、熱を持って話してくれました。
やっぱり芸術って大事ですよ、こういう時だからこそ。
ぼくも改めてそう思いましたよ。

さて、コンサートが始まりました。
コンサートレビューはここのメインではないので詳しくは割愛します(←要するにレビューの才能なし)。
アランフェス交響曲は「ギター協奏曲といえばこれ!」という王道中の王道ですが、ぼくはあまり好きじゃないんですよね笑。
あのスペイン曲らしい日本人と真逆の情熱さというか、不安定さというか、リズムが揺れる感じ。
演奏自体はとても素晴らしく、よくロックやポップスのライブでは「声からCD音源」という誉め言葉がありますが、今回はまさに「手からCD音源以上」というクオリティ。
そりゃオーケストラが天下のN響ならそうなりますわな。

協奏曲を全て弾き終わり、アンコールの時間。
村治さんがチョイスしたのは、やはりというべきか震災のチャリティソングである「花は咲く」のギターソロ。
正直ぼくは原曲はファンではないのですが、これの演奏は本当に素晴らしかった。
ギターにしか出せない表現の豊かさ、アレンジの良さ、弦の音色・・・。
壇上のN響の演奏者たちも、シミジミと聴き入っているのが良く分かりました。
偏見だけどソリストのアンコールの時ってオーケストラの演者って落ちてる(ボーっとしてる)気がするんですよね笑。
でも今回はバイオリンとかピアノとか、他のソロ楽器に比べてクラシックギターのレアさもあって、観客のみならず演者も耳を傾けて聴き入っているように見えました。
今日が特別な日だからこそ。
なお音源があるかなと思って探したら本人の演奏がYouTubeにありましたので、興味がある方は「村治佳織 花は咲く」で検索してみてくださいませ。

後半は小山実稚恵さんの登場。
もうね、ギターに比べるとピアノはズルいですね笑。
オーケストラに負けない、いや張り合う音量、表現力。
特に最後の「火の鳥」の迫力は凄まじかったですわ。
これは名曲だから知っている方は多いでしょうね。

「火の鳥」のあらすじ、ご存じですか?
一部、Wikipediaから引用します。

イワン王子は、火の鳥を追っているうちに夜になり、カスチェイの魔法の庭に迷いこむ。黄金のリンゴの木のところに火の鳥がいるのを王子は見つけて捕らえる。火の鳥が懇願するので解放するが、そのときに火の鳥の魔法の羽を手に入れる。次に王子は13人の乙女にあい、そのひとりと恋に落ちるが、彼女はカスチェイの魔法によって囚われの身となっていた王女(ツァレヴナ)だった。夜が明けるとともにカスチェイたちが戻ってきて、イワン王子はカスチェイの手下に捕らえられ、魔法で石に変えられようとする。絶体絶命の王子が魔法の羽を振ると、火の鳥が再び現れて、カスチェイの命が卵の中にあることを王子につげる。王子が卵を破壊したためにカスチェイは滅び、石にされた人々は元に戻り、王子と王女は結ばれる

まつ流にザックリ解説すると「色々困難があったけど、最後は大円満&ハッピーエンド」。
まさに今の世の中に相応しい選曲だなと思いました。
こちらも音源・動画は無数にあるので検索してみてくださいませ。


というわけで、コロナ禍&震災10年に、地元さいたま市の埼玉会館で開催されたコンサートに行ってきたよ、という記事でした。

「コロナ禍&震災10年」
そうサラっと書いてしまったけど、人によってはその濃淡はあるだろうけど、基本的には「もうホントに何なの?」って世の中だと思います。
ここでどんな言葉を書いても響かないと思うけど、芸術に一瞬でも救いを求めても良いのかも?と個人的には改めてそう思った印象深い日となりました。

おしまい。

(参考リンク)
NHK交響楽団 尾高忠明(指揮)小山実稚恵(ピアノ)村治佳織(ギター)
埼玉会館 – 公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団

【まつ直近記事3本】
(149)『スーパー銭湯飯は侮れない@湯屋敷考楽』
(150)『約20年振りに鶏白湯ラーメンを食べたら大人になったことを実感しました@麺匠むさし坊』
(151)『さいたま市の図書館が全館休館しているから、さいたま市の図書館の凄さと書評を語ります』