筑波大附属中1年生の皆さんと一緒に岩槻を散策してみた!

あっという間に6月になりました。
梅雨の足音が近づいている今日この頃です。

先日、岩槻観光ボランティアガイド会さんが、
「筑波大学附属中学校の生徒さんをガイドする!」
とのことだったので、ちゃっかりお邪魔させていただきました。

今回はその様子をリポートしちゃいます!

①9:30 岩槻駅東口


1年生約120名を乗せたバスが次々に到着!
午前と午後の部に分かれての校外学習で、
今回は午前の部の皆さんとご一緒します。
(午後も約80名いらして、総勢約200名が岩槻について学びました)

なんとこの日の天候は、朝から大雨&強風・・・。
バスを降りた瞬間から強い雨風に吹かれます。
生徒さんは12組に分かれて、それぞれのコースを回ります。

②9:50 遷喬館
儒学者の児玉南柯が1799年(寛政11年)に開いた私塾で、のちに藩校となりました。
現在も建物が残っているものは非常に少なく、埼玉県内で唯一残っているのが、ここ遷喬館です。
生徒さんにとっては、茅葺き屋根を見るのが初めてだったそうで、
建物が目に入るや否や「何だろう?」と興味津々でした。

③10:10 岩槻人形博物館
20分程自由時間が与えられ、それぞれ館内を見学します。 
どんどん雨脚が強くなり、建物の屋根から雨が滝のように流れていました・・・。
館内の様子は、先日のブログで取り上げたのでこちらからご覧ください。

④10:45 時の鐘
1671年(寛文11年)に設置、1720年(享保5年)に改鋳以来、岩槻城下の人々に時を知らせており、県内では、行田や川越の鐘よりも古いと言われています。
ガイド会の話によれば、戦時下に発令された金属類回収令の際にも、この鐘は回収されなかったそう。
昔から変わらない、同じ鐘の音を聞けるというのは、何だかロマンがありますね。

また隣のイチョウの木は1896年に植樹されたもの。
岩槻では3番目に古いイチョウです。
(一番古いのは樹齢約140年の岩槻小学校のイチョウ)

この辺りでやっと雨が上がりました。
蒸し暑くなる中、まだまだツアーは続きます。

⑤武州鉄道の小径
途中、武州鉄道の小径を歩きます。
1924年(大正13年)に蓮田〜岩槻間が開通、1938年(昭和13年)に廃止された武州鉄道の線路跡です。
ガイド会さんによれば、
昭和4年に東武線の「岩槻町駅」が開設されますが、
この時すでに武州鉄道の「岩槻駅」があったため、区別するために東武線の駅名には「岩槻『町』駅」とされ、のちに武州鉄道が廃止されてから「岩槻駅」となったそうです。
東武線が高架上を走っているのも、地上には武州鉄道が通っていたからだとか・・・面白いです!

⑥11:15 浄安寺
山門の別名である「槍返しの門」の伝説*を聞いたあと、境内へ。

*かつて岩槻城下の出入口にあった門で、のちに浄安寺に移築されたものだそう。
一説では、将軍吉宗の一行が日光参詣の際にこの門を通ろうとしたところ、門が低く槍を立てたまま通れないので屋根を壊すように命じましたが、岩槻藩主が槍を返して(倒して)通させたことから、「槍返しの門」と呼ばれています。

裏の墓地に回って、児玉南柯のお墓を見たら、最後のスポットへ向かいます。

⑦11:40 岩槻城大構
1587年頃(戦国時代末期)に豊臣連合軍の攻撃に備えて城下町の周囲に築かれた土塁で、現在はここに一部が残っています。
高さ4m、幅8m、全長約8kmに渡って築造されたとの記録があり、
当時の地図を見ながら、その防御力についてや、登り下りで生活が大変だったこと等を学びました。

12:00 解散

時間に限りがあったため、まだまだ話し足りない様子のガイド会さんでしたが、筑波大附属中の皆さんは楽しんでいただけたでしょうか!?
今後はいいお天気の時にぜひいらしていただき、
お弁当も城址公園の気持ちの良い空の下で楽しんでもらいたいものです。
(この日は残念ながらバスの中で召し上がったそうです)

今回のコースは約2時間半!
歩いたコースのマップはこちらです▼



また、岩槻観光ボランティアガイド会にガイドを依頼したい!
ガイド会のメンバーになってガイドがしてみたい!
という方は、こちらからお問い合わせお待ちしております。

また、「さいたま歩きが楽しくなる見るガイドブック」では動画とWEBサイトで街歩きが楽しめます★!
岩槻観光ボランティアガイド会おすすめコースは「城下町岩槻コース」
今回ご紹介したスポット以外も登場しますので、ぜひお楽しみくださいね♪

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